NBSニュース Vol.373 2018年春 発行
配信元:https://www.nbs.or.jp/nbsnews/373/index.html
NBSNewsvol.373_P40214ミラノ・スカラ座をはじめとするイタリア国内外の歌劇場、オーケストラで大活躍のヤデル・ビニャミーニは、ローマ歌劇場からの厚い信頼を獲得しているマエストロ。日本公演を前に、『椿姫』について語ってくれました。
イタリアの伝統を香り立たせる指揮者による『椿姫』!
ヤデル・ビニャミーニはイタリアの伝統を次世代に繋げる役割が期待される指揮者だ。リッカルド・シャイーに認められ、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団のクラリネット奏者として15年活躍した間に、世界の一流指揮者達と共演し、交響曲のアプローチを学んだ。それ以前にも19歳からボローニャ市立歌劇場管弦楽団などで吹きながらオペラも学び、イタリア・フィルハーモニー・オーケストラ(OFI)でも研鑽を積んだ全てが、彼の指揮棒から香り立つのである。
初来日は指揮者に転身した翌年の2012年だったが、30代で既にイタリアの伝統を体現している姿に驚かされた。案の定、その後の躍進は目を見張るものがあり、2016年に2度目の来日を果たした時は、既にネトレプコ夫妻の信頼を勝ち得て、彼らにイタリアオペラの神髄を伝授しながらの公演だった。その直後には新国立劇場にも『アンドレア・シェニエ』でデビューし、ネトレプコ夫妻とは去年の北米ツアーに続き、今年はロンドンとザルツブルク音楽祭でも共演を請われている。 今年はローマ歌劇場来日公演以外でも、オーケストラへの客演で「日本通い」となるビニャミーニの生の声をお届けしたい。
——— ローマ歌劇場とはどのような関係ですか。
ビニャミーニ: 2014年にローマ歌劇場が大改革を強いられた後、ムーティが振るはずだった『アイーダ』を任されて以来、その数ヶ月後には、2016年に新演出されることが決まっていたこの『椿姫』のオファーをもらいました。その後、昨年は『トロヴァトーレ』を任され、「ヴェルディはビニャミーニで」という信頼を寄せてもらっています。
——— ムーティが終身名誉監督を辞任した財政危機でしたね。その後、どうやってこの超豪華版『椿姫』が実現出来るまでに建て直せたのでしょうか。
ビニャミーニ: この『椿姫』は、フォルテス総裁の采配により、オペラに対する愛情に訴えかけた適材適所な人脈で、経済的な問題もクリアすることが可能になった情熱の産物なのです。スターデザイナーのヴァレンティノ・ガラヴァーニは、オペラの衣裳を作りたかったのではなく、『椿姫』の衣裳を手掛けたいと思うほど、このオペラが好きだったので、稽古にもよく来ては、感心して帰って行かれました。彼に指名された演出家のソフィア・コッポラも、音楽面では全面的に私を信頼してくれたので、私が貫く「ノーカット上演」も実現できました。稽古期間も映画*のために特別長く取られていたわけではなく、 綿密に練られた計画に沿って最初から稽古が進んで行ったので、稽古中に映画用のPRカットなども無駄なく撮られていたようです。
映画の集客率は把握していませんが、歌劇場での15回前後の公演は毎回ほぼ売り切れで、観客層も今までのオペラ・ファンと違うタイプが多く見受けられました。その新しい観客は、その後も歌劇場に戻って来ているようで、これはオペラ界の未来に対する効果的な投資といえるでしょう。
——— 視覚的に美しい『椿姫』が出来上がりましたが、貴方の指揮で伝えたかった事は何ですか。
ビニャミーニ: 私が考える『椿姫』は、生や愛への希求と死への怖れ、陽気でお祭り騒ぎな一面と残酷な面、という対比が興味深いということ、そして何よりも、音楽が登場人物の性格や、その場の雰囲気、物語の進行を写実的に表している作品だということです。
——— 特に第2幕で、移りゆく登場人物の気持ちが音楽によって如実に表現させる棒さばきでしたね。 特にクラリネットのソロでは泣かされます。
ビニャミーニ: 首席クラリネット奏者デ・アンジェリスに褒めておきます(笑)! ヴェルディは『運命の力』などもクラリネットの旋律に魂を込めて書いているので、昔から楽しみに吹いていましたが、今となっては吹く事ができないので、元同僚にアドバイスをし、最高のフレーズを一緒に創り上げています。
——— ローマ歌劇場管弦楽団はどんなオーケストラですか。
ビニャミーニ: まずは音色が丸いオーケストラです。特に弦楽器が乾いたり、とんがった音を出すことがありません。そして歌い手のフレーズについていくのがとても上手く、フレキシブルなので、指揮者にとっては御し易いオーケストラです。彼らとの訪日を心待ちにしています。
[インタビュー・文:中 東生 / 在チューリッヒ、音楽ジャーナリスト]
*映画「ソフィア・コッポラの椿姫」のこと。 同映画はすでに日本でも公開された。