【世界から】スイス最大のチューリヒ市民を熱くする男とは

47News / Yahoo!ニュース 2019/11/26 配信
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チューリヒ・トーンハレ管弦楽団を指揮するヤルヴィ(C)gaetan bally

「パーヴォ・ヤルヴィが『トーンハレ』の首席指揮者に決まった!」

 そのニュースは1年以上も前からスイス最大の都市であるチューリヒ中で話題にのぼっていた。そのためだろう。「もう就任した」と思い込んでいる市民も少なからずいたほどだ。

 今年12月に57歳となるヤルヴィは旧ソ連エストニア出身。これまでに、シンシナティ交響楽団やパリ管弦楽団などを経て、現在はNHK交響楽団の首席指揮者も務めている世界的な指揮者だ。「トーンハレ」とは1868年に創設されたチューリヒ・トーンハレ管弦楽団のこと。1988年から91年には日本人の若杉弘氏が首席指揮者と芸術総監督を兼任していたことに加え、2014年までは頻繁に来日公演を行っていたので、日本人にもなじみのあるオーケストラではないだろうか。

オーケストラの新指揮者のニュースがなぜ、そこまで話題になったのだろう。市民の多くが「大物」指揮者を求めていたからだ。彼らの頭にあったのは、デビッド・ジンマン。95年から2014年までの長きにわたって首席指揮者と芸術総監督を務め、「同管弦楽団の顔」ともいえる存在になっていた著名な米国人指揮者だ。ヤルヴィは16年12月に同管弦楽団に客演し、19世紀に隆盛したドイツ・ロマン派の巨匠シューマンと20世紀のロシアとソ連を代表する作曲家の一人、プロコフィエフを振って成功に導いている。しかし、3晩連続で開かれた就任披露コンサートの初日ほどチューリヒ全体が熱くなったことはなかった。

 ▽就任記念コンサート

 10月2日、本拠地修復中の仮住まいとしている「トーンハレ・マーグ」近辺は熱気を帯び続けていた。メディアや来賓を招待したカクテルパーティーから始まったその日、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の新しいシーズンが幕を開けた。「これからヤルヴィの時代が始まるこの日に、ここにいられる皆さんは幸せ者だ」と理事長のマルティン・フォッレンヴィダー氏があいさつすると、実際の運営を任されているイローナ・シュミール総裁はヤルヴィと同郷人の著名作曲家アーボ・ペルトの「もしバッハが養蜂していたら」の改訂版を世界初演できる幸せ、ヤルヴィを音楽監督・首席指揮者としていただく喜びを語った。

 いつの時代にも多くの作曲家がバッハ(Bach)にささげるため、「B(シ♭)」「A(ラ)」「C(ド)」「H(シ)」をモチーフにした曲を作っているが、ペルトも1976年、弦楽器とチェンバロのためにこの曲を作った。今回はピアノと弦楽器と管楽器四重奏、打楽器版にアレンジしたものだ。ユーモアも感じられる確信を持った演奏に、作曲家自身も満足げだった。

続く「クレルヴォ交響曲」は、ヤルヴィが首席指揮者を務めるNHK交響楽団(N響)とも昨年共演しており、ソリストも同じくジヨアンナとヴィッレのルサネン姉弟だが出来上がりはN響とは全く違うようだ。ヤルヴィに直接質問してみると、「背景にある文化が違うと、そのオーケストラの持つ音色も違うので、全く違う音楽ができる」という明解な答えが返って来た。どのように違うか、言葉にしてもらうと「N響はエッジの利いた音、トーンハレは温かい音」と表現した。それは本拠地とするホールの音響も大きく影響しているはずだ。「ホールはオーケストラにとって楽器のようなものなので、リハーサルホールとコンサートホールが違う場所というのはナンセンスです」と言う言葉には、演奏会当日以外はリハーサル場で練習しているN響での苦労がにじみ出ているのかもしれない。

 ▽始まった「ヤルヴィ時代」

 チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の本拠地は17年9月20日から修復中で、20年秋のオープン予定が延期されると発表されていたが、21年3月11日にようやくリニューアルオープンが決定した。1895年に完成し、ブラームスを招いて落成記念コンサートを行った本拠地は、ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿を見本にして作られた天井画や金の装飾が美しい内装と一続きの床板が共鳴する音響を誇った。ところが、派手さを好まないチューリヒの好みに合わせ1920年ごろには三つあったシャンデリアを二つに減らすなど、内装の質素化が図られた。さらに、39年開催の「連邦博覧会」に伴う増築などにより音響も劣化しただけでなく、内部もわざわざ灰色で覆って輝きを抑えた。それらを元の形に戻した上で、チューリヒ湖への展望が開けるように技を尽くした改築を現在行っているのだ。その改築費用は市が負担するが、その間の仮住まいとなる「トーンハレ・マーグ」はチューリヒ・トーンハレ管弦楽団が負担して、30年代の工場を7カ月間で改造した。

 就任コンサート初日の翌日にメディア関係者を招待して「工事中の本拠地見学ツアー」が実施されたが、ヤルヴィも参加したのには驚いた。前日の疲れなどみじんも見せず、リラックスしてカフェで談笑した後、皆と一緒にヘルメットと蛍光色のチョッキを着け、記念写真に収まるマエストロの自然体ぶりは本物だ。大指揮者であるネーメ・ヤルヴィを父に持ち、弟のクリスティアンも指揮者、妹はフルート奏者という音楽一家に生まれたヤルヴィ。「もし消防士の家に生まれていたら消防士になっただろう」と語るように自然に指揮者となったのだ。

偉大な父親が指揮する音楽と自分自身の解釈との間にどうやって違いを出しているのか。気になったので質問してみた。すると、次のような答えが返ってきた。

 「全て父から学んだが、人間が違えば音楽も違うから、父の指揮と同じになることはない」

 その口ぶりは偉大な父親の重圧など感じたことなどないといわんばかりだった。自然に音楽家になった人間はこんなにも空気をまとうように「大物」でいられるらしい。そんなヤルヴィが、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団と初めて録音したCDも10月2日に発売された。

 いよいよ始まった「ヤルヴィ時代」。それをこれからともに築き、支えることができる幸せを感じた。(チューリヒ在住ジャーナリスト 中 東生=共同通信特約)

本拠地の建築現場を訪れ、笑顔のヤルヴィ(C)alberto venzago

掲載元

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