山田和樹氏の躍進は誰にも止められない勢いがある。2009年に、若手 指 揮 者 の 登 竜 門 と し て 有 名 な ブ ザ ン ソ ン 国 際 指 揮 者 コ ン ク ー ル で 優 勝 、併 せ て 聴 衆 賞 を 獲 得 し た 頃 か ら 注 目 し て は い た も の の 、2 0 1 1 年 に は 出 光 音 楽 賞、2012年には渡邊暁雄音楽基金音楽賞、齋藤秀雄メモリアル基金賞、 そ し て 文 化 庁 芸 術 祭 賞 音 楽 部 門 新 人 賞 を 続 け ざ ま に 授 賞 し て い る 。そ の 文 化 庁 か ら の 授 賞 は 、な ん と 日 本 フ ィ ル ハ ー モ ニ ー 管 弦 楽 団 正 指 揮 者 就 任 の 記 念 演奏会が評価されたのである。
受 賞 理 由 に「 野 平 一 郎 や ヴ ァ レ ー ズ と い っ た 現 代 作 品 を 聴 衆 に 楽 し く 聴 か せるプレゼンテーションの上手さや、ムソルグスキーの「展覧会の絵」でス ト コ フ ス キ ー 編 曲 版 を 用 い る チ ャ レ ン ジ 精 神 に 、新 し い 世 代 の 才 能 の 出 現 を 実感した。また、オーケストラの統率や音楽の表情付けの上手さは、30代前半の指揮者とは思えない熟達ぶりで、今後の大いなる活躍が期待できる」 と述べられている。
海 外 で は 代 役 で 振 る と 必 ず オ ー ケ ス ト ラ に 気 に 入 ら れ 、次 の 仕 事 が 舞 い 込 んでくる感がある。そんなエピソードの1つがスイス・ロマンド管弦楽団首 席客演指揮者のポストにつながり、タイトル通り、世界の檜舞台でレギュラ ーに活躍する最注目の若手指揮者となったのである。
スイス・ロマンド管弦楽団は1918年にスイス楽壇の帝王エルネスト・ ア ン セ ル メ に よ っ て 創 設 さ れ た オ ー ケ ス ト ラ で 、ス イ ス 音 楽 界 を 牽 引 し て き た存在だ。現在はネーメ・ヤルヴィが音楽監督を務め、チューリヒ・トーンハレと並んでスイスのオーケストラの双璧を築いている。以下、彼とのインタビューである。
――スイス・ロマンド管との出会いについてお話下さい。
2010年6月10日の演奏会で、急な代役を依頼されたのが出会いでした。伝統ある名門のオーケストラですから緊張していましたが、最初のリハーサルからとても良い反応を示して下さり、コミュニケーションはスムーズに運びました。演奏会は盛り上がり、この1回の共演がきっかけとなって「首席客演指揮者」のポストを拝命することになったのです。
――このオーケストラの特徴をどのように捉えていらっしゃいますか。
フランスのオケよりフランスらしい、と言いますか、音色の豊かさが挙げられると思います。楽団の拠点となっているジュネーヴのヴィクトリアホールの豪著な内装と同じように、すこぶる華やかで明るい音が持ち味です。音色も、本当にパレットの数が多い感じで、まるで音に色が付いて見えるような、多彩な響きを持っています。
――2012年11月末に行われた首席客演指揮者就任コンサートでの手応えは如何でしたか。
タ イ ト ル を い た だ い て 初 め て の 演 奏 会 と い う こ と で 、と て も 緊 張 し て 臨 み ましたが、オーケストラは以前の通り、いやそれ以上に好意的に受け入れて 下さって嬉しかったです。
メインのベートーヴェン作曲「英雄」交響曲は、スイス・ロマンド管もし ば ら く ぶ り に 取 り 上 げ た そ う で す が 、ベ ー ト ー ヴ ェ ン の 曲 の 中 で も 特 に 難 し いこの交響曲で、新しい関係をスタートできて、とても良かったと思ってい ます。
演 奏 中 は 本 当 に 至 福 の 時 で 、指 揮 台 に 立 っ て い る 自 分 の 身 体 が オ ー ケ ス ト
ラ の 放 つ 音 に 溶 け る よ う な 、自 分 の 体 重 が な く な っ た か の よ う な 感 覚 で し た 。 3年の任期を良いスタートで始められたと思います。
――首席客演指揮者として、このオーケストラと目指したい目標は。
音楽監督のヤルヴィさんとオーケストラと共に歩んでいければと思いま す。せっかくなので、日本の作品を取り上げたり、現代音楽にも向き合っていくつもりです。
――次のコンサートシリーズへ向けての意気込みをお聞かせ下さい。
ジョリヴェ、ショスタコーヴィチ、バルトーク、ストラヴィンスキーとい う 近 現 代 も の を 取 り 上 げ る の で す が 、僕 に と っ て は 、全 曲 は じ め て の 演 奏 で 、 初 挑 戦 と な り 、自 分 と し て も オ ー ケ ス ト ラ と し て も 意 欲 的 な プ ロ グ ラ ム と 言 えると思います。気合い十分ですので、是非多くのお客様にいらしていただ けたらと思います。
そ こ で 、2 月 2 1 日 ロ ー ザ ン ヌ の ボ ー リ ュ ウ 劇 場 で の コ ン サ ー ト を 取 材 し た。空席も目につくホールだったが、最初に演奏されたジョリヴェのトラン ペ ッ ト 小 協 奏 曲 第 一 番 で 、音 色 の 優 し さ と 山 田 氏 が 大 切 に 音 楽 を 紡 ぐ 姿 勢 が 客 席 を 温 か く 包 ん だ 。そ し て 続 く シ ョ ス タ コ ー ヴ ィ チ の ピ ア ノ 協 奏 曲 第 一 番 では、山田氏がインタヴューで語ってくれた「まるで音に色が付いて見える ような」という表現を忘れていたにも拘らず、耳から入った音が脳裏で色合 い に 変 わ っ て い く 様 を 体 験 し て 驚 い た 。山 田 氏 が こ の オ ー ケ ス ト ラ の 特 徴 と してとらえたその長所を、最大限に引き出す事に成功したのであろう。
ロ シ ア の 大 地 を 吹 き 抜 け る 風 の 匂 い す ら 感 じ さ せ な が ら 、オ ー ケ ス ト ラ の
フ レ ー ジ ン グ で 背 景 を 創 り 上 げ る 。そ れ を バ ッ ク に ピ ア ニ ス ト が 雄 弁 に 語 り 、 その音にオーケストラが重なる度に、憂いを含んだ音、透明な音、美しい音
達 が そ れ ぞ れ の 色 を 乗 せ て い っ て 、モ ノ ク ロ だ っ た 風 景 画 が ど ん ど ん 色 彩 鮮 やかになっていくような演奏だった。最後の音が途切れると、誰かが漏らし た感嘆のため息のような「ブラヴォー」が客席に染み渡った。
隣 に 座 っ た お 年 寄 り が 微 笑 み か け て き た 。「 こ の マ エ ス ト ロ は 、 若 い の に 統率力があって凄い。長い間定期公演の会員になっているが、このオーケス トラの創設者が退いた後、初めて、この指揮者があの頃のレベルに到達させ てくれた。マエストロに伝えてくれたまえ。今晩貴方は、ローザンヌに心の 友を沢山得たはずだ」
ヨ ー ロ ッ パ で は 小 柄 で 少 年 の よ う に す ら 見 え る 山 田 氏 は 、自 然 に 柔 和 に 指 揮 台 に 存 在 し て い る の だ が 、 実 は 極 度 の ア ガ リ 性 だ と い う 。「 お 客 様 の ほ うを向いて演奏することが難しい性分だったことも、指揮者という職業を選ぶ一因になった」と語ってくれた。その他には、「楽器奏者になるための腕を磨く努力をしなかったから」と謙遜する。
また「小学生時代から、学級委員や生徒会長など、リーダー的なまとめ役をすることが多かった」とも振り返る。「職業として指揮者の道を志す前に、中学時代の児童合唱や高校時代の吹奏楽を既に指揮しており、高校2年の終わりに初めてオーケストラを指揮した感動的な経験で指揮者への道を決定した」という。天職というのはこのようなものだのだろう。
彼の言うリーダーシップが発揮されているプロジェクトがある。東日本大震災復興に心を注ぎ、超多忙な合間をぬって、昨年10月には「”心に花を咲かせよう”プロジェクト」と共に、CD録音、被災地訪問を開始した。2014年のスイス・ロマンド管来日ツアーが計画中というが、「被災地に連れて行かれたらいい」と、アイディアは膨らむ。
「人間関係が財産」「音楽は人生そのもの」と語る山田氏は、音楽を通して日本を、そして世界を少しずつ平和へと導きながら、人間関係をさらに豊かにしていくに違いない。(2013年 Webronza掲載)