47 News 2017.12.12 配信
@共同通信社
11月中旬のスイス・チューリヒ州ウスター市。同国最大の都市、チューリヒ市の中心部から電車で15分ほどのこの町にある「チューリヒ日本人学校」で創立30周年を記念する式典が催された。1975年に開校した前身の「チューリヒ日本語学校」時代を含めると、その歴史は42年にもなる。だが、開校への道は簡単ではなかった。同州に求めた学校法人設立許可を手始めに、教員の確保や日本政府からの学校公認、加えてウスター市議会で取り上げられた校舎借用などといった、さまざまなハードルを一つ一つ解決しなければならなかったからだ。
その後はスイスに進出する日本企業が増えたこともあって、チューリヒ日本人学校の児童生徒数も増加。ピークとなった1990年度には「全日制」が86人に達した。ところが、直後に起きた「バブル崩壊」により日本企業が大規模撤退したことが影響し、現在の生徒数は16人にまで減っている。その一方で、増え続けているのはスイスの小・中学校が休みとなる水曜の午後と土曜日に、日本語の習得を目的とした授業を行うために同校が設けている「補習校」に通う児童生徒で、現在は約200人が在籍している。卒業生には俳優の水嶋ヒロやタレントの春香クリスティーンなどもおり、式典では春香クリスティーンからのビデオレターが上映された。2014年6月22日の皇太子殿下ご訪問に続き、今年5月1日には彼女が“母校”を訪れた。これらの出来事は生徒たちの思い出に刻まれている。
同校で学んだ生徒たちがスイスと日本を結ぶ懸け橋となっているだけでなく、校舎の持ち主が親日家になり、その娘が空手の黒帯を取得するなどの個人的な結びつきや、ウスター市からの支援など、関係する人々によって積み重ねられてきたさまざまな努力が、両国の友好関係の礎になっている―。心温まる式典を通して、そんなことを強く実感した。
戦後、「アジアのスイス」を目指して復興を遂げてきた日本。スイスとは国民性や天然資源の乏しさなど類似点が多い。スイスから学ぶべきところはまだまだたくさんあるのではないだろうか。記念式典で祝辞を述べた本田悦朗特命全権大使に、両国の関係について聞いた。
▽目標はトップ会談
本田大使が赴任した16年6月から現在までを振り返ると、以下のような行事で手応えを感じているという。まず、幕末の1864年に両国間で修好通商条約が締結されてから150周年を迎えた2014年発足した対日友好議連のシュナイダー=シュナイター会長一行による今年3月下旬の日本訪問。これに先立つ16年には日本スイス友好議員連盟の衛藤征士郎会長らがスイスを訪れている。続いて、今年4月に大使公邸で初開催した「お花見会」。多くの人が公邸にある立派なしだれ桜をめでながら、琴の演奏と大使夫人の野だてを楽しんだ。最後に、スイス全州議会(上院)議長のビショフベルガー氏らを招待して9月に行った日本大使館での生け花の実演パフォーマンス。こうした成果を踏まえ、本田大使は次のように確信していると話した。
「『問題のないのが問題』と冗談めかして言われるほど日スイス関係は良好です。これはひとえに両国関係の改善に努めてこられた先達の努力のたまものですが、特に皇室外交の重要性は強調したいと思います。皇室というものを持たないスイスにとっては、皇族の御訪問は大変貴重な機会であり、最近では、5月末の三笠宮彬子女王殿下のチューリヒ御訪問は大歓迎を受けられました。また、自由・民主主義・法の支配といった基本的価値観を共有する両国にとって、さまざまな機会に良きパートナーとして協力できるものと信じております」。そう語る本田大使の目標は、そのような地道な活動を基礎に両国のトップ会談を実現する事だという。
▽自立精神
本田大使に着任後の感想についても尋ねた。「個人的に一番関心のある点は、急峻(きゅうしゅん)な山々に分断され、文化圏も違うそれぞれの地域がどうやってスイス人というアイデンティティーを堅持し、スイスという国家を共に守ろうという強い団結力を維持しているかという事です。歴史的背景や政策としての努力もあるだろうが、直接民主主義によって意見を直接政策に反映出来ることも大きな要因でしょう。日本は人口比から言っても直接民主主義を取り入れることはできないが、自分で自分を守るという意識、身近なところで解決する努力は学びたい。例えば、スイスの家庭には民間防衛マニュアルが配布されている。自分を守り、家族を守り、国家を守るという自立精神は、スイスから学べる最大点の一つだと思います」
本田大使はまた、大蔵省(現・財務省)時代に四国財務局長として四国の地方活性化に取り組んだ経験を踏まえ、次のように分析した。
「山々による地域分断はスイスと四国の共通点ですが、スイスでは各地の有利な点を生かした伝統産業が成功しています。ロレックスやオメガなどの高級時計ブランドは昔、時計装飾の技術を持っていたユグノー教徒がフランスから移り住んだ土地で発展しており、ノヴァルティスやロシュなどの製薬会社は、繊維産業が盛んだった土地で、染料用の化学薬品に関する知識を製薬業に生かした結果です。その他風光明媚(めいび)な土地柄を生かした観光業、大陸欧州の中央に位置するという利点を生かし、世界の情報の集積地として発展した金融業などもあります。日本の地方都市もそれぞれの土地で有利な点を見つけ、その利点を最大限生かすとともに、現代のニーズをハイブリッドして地域産業の再活性化を図れば、必ず若者達も東京から戻って来ます」
政治的外交や経済協力の側面だけでなく、産業間の交流やそのほか芸能界を含む民間レベルの絆を通して、政治家に頼るのではなく、国民一人一人がもう一度スイスを目指して自国の発展を真剣に考えてみてはどうだろうか。(スイス・チューリヒ在住ジャーナリスト 中 東生=共同通信特約)